阿蘇家でかつて無敗の将と呼ばれた名将、甲斐宗運(かいそううん)。
<甲斐宗運肖像画>
宗運は、実は鞍岡にある祇園神社の42代目の神主だったということが、神社に伝わる表札に残されているそうです。
ということは、甲斐宗運の生誕地はこの鞍岡で間違いないようだ!
歴史を紐解こう!阿蘇家を救った父、甲斐親宜(ちかのぶ)!
1500年代、肥後の阿蘇家は3度の勢力争いに敗戦します。
肥後の国から落ち延びた阿蘇家約200人を鞍岡の「揚城(あげじょう)」でかくまったのが甲斐親宜(かいちかのぶ)という41代目の祇園神社の神主だったと言われています。
甲斐親宜は、甲斐親直(甲斐宗運)の父親です。
阿蘇家は親宜によって揚城で匿われて、そこで復興したのでした!
<五ヶ瀬町鞍岡 揚城跡(秋葉神社)>
200人の落ち延びた人を隠しながら力をつけさせた・・・どれほどの苦労があったのでしょうか。
食料だけにしても200人近く、武器などを揃えるとなると山を越えて人数分を揃えていったのでしょうか!?
親宜の子、親直(宗運)は無敗の将!
親宜(ちかのぶ)に助けられた阿蘇家。
親宜の子、甲斐親直(かいちかなお)(後の宗運)は後に阿蘇家の重臣となり、「60戦無敗の将」と呼ばれるほどになります。
宗運は見事な戦略で御船城を落とした後、御船城下を命懸けで整備したとも言われています。
その後この猛将が御船城にいる限りは、豊後(今の大分県)の大友家も手を出せなかったほど睨みをきかせていたのでした。
(ブログに書かせていただいたお話は、五ヶ瀬町商工会会長の秋本良一さんより聞かせて頂いたものです)
勝利を掴む二人の将の影!祇園神社
親子二代に渡って名を轟かせた甲斐家。
その生誕地が鞍岡だったという事実はあまり知られていないかもしれません。
阿蘇家再興の将、親宜。
無敗の将、親直・・・宋運。
これは・・・、勝負の世界では崇めるべき神ではないでしょうか?
明日の勝利を掴みたい方!
鞍岡の祇園神社へお参りいただくと勝機が見えるかもしれません!